連載「名調子十六番」

連載「名調子十六番」

 大好評をいただいている競馬ロングラン連載。今回は名実況で鳴らした杉本清アナウンサーにご登場願った。タイテエム、テスコガビー、テンポイント…スターホース躍動の記憶が蘇る名調子を紙面で再現、厳選16レースをお届けする。

  •  第40回宝塚記念(1999年7月11日午後3時40分)於阪神競馬場。 夏の仁川でグラスワンダー、スペシャルウィークの2強が初めて激突した。これぞ久しくなかったドリーム

  •  競馬実況一本だった僕がまさか、「ハンマープライス(注1)」や「さんまのナンでもダービー(注2)」に出るなんて想像もしていなかった。街を歩いて声を掛けられることはあっても、サインを頼まれるようになる

  •  平成5年(1993年)の天皇賞・春では、ライスシャワーに3連覇を阻まれたメジロマックイーン。次走の宝塚記念を制し、残るは関東の刺客との“再戦”。秋初戦は京都大賞典で躍動した。「ライス

  •  先日、天皇賞・春のCMメッセージ(JRA)を頼まれた。そこであの馬を思い出した。“極限まで削ぎ落とした体に鬼が宿る。王者メジロマックイーンの3連覇を阻んだ漆黒のステイヤー。ヒール

  • 「レオダーバン、レオダーバンです。馬の世界でもレオ、レオダーバンです!」(平成3年菊花賞) 当時の西武ライオンズは秋山、清原、デストラーデが活躍する黄金時代。他球団の追随を決して許

  • 「あなたの、そして私の夢が走っています」 有馬記念の時に出た、あのフレーズはしばらく忘れていた。が、これもテンポイントが呼び戻してくれたんやな。ある時に追悼番組で紹介され、「このフ

  •  昭和44年のアカネテンリュウから菊花賞の中継ではずっと僕の声が入っている。アルバイト時代から競馬場へ行くのが楽しくて仕方なかったから、実況を退くまで週末に体調を崩すことは決してなかった。

  •  昭和50年代の中盤。平日に栗東のトレセンに行くこともあるけど、競馬の仕事は週末だけ。普段はゴルフ中継をしたり、苦手なニュースも担当したけど、この頃から競馬アナウンサーって呼ばれるようになってきた

  •  菊花賞の数日前に祇園でトウショウボーイに騎乗する福永洋一(元騎手)と雑誌対談をする機会があった。その帰り道、横断歩道で信号待ちをしていた時に、「杉本さん、人間って欲やな。神戸と京都も勝つと菊も欲し

  •  昭和51年(1976年)の夏、会社に一本の電話が掛かってきた。某一般紙の社会部の記者だと名乗る男だった。「テンポイントのコラムを載せたいので、杉本さ

  • 「見てくれ、この脚、見てくれ、この脚、これが関西の期待、テンポイントだ!」 昭和50年の阪神3歳Sで関西期待の星となったテンポイント。しかしクラシックではトウショウボーイに負け続け、ダービー後には左前脚を

  •  馬券のビギナーズラックが高じて始めた仕事だった。だから実況に関わらず、競馬新聞を見て最初に手をつけるのは買い目の予想。予想紙で前夜版が売っているのは梅田の売店しかなかったので、上司の目を盗んで松

  •  ハイセイコーブームに沸いて人々が競馬に目を向け始めた昭和40年半ば。この頃からいろんな事に挑戦してみることにした。編集会議で怒られることは多々あっても臆する

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